97.五城目小学校印

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①森嶽学校校印 わが国の学制発布は、明治5(1872)年であるが、その2年後の7年5月7日付近の村にさきがけて五十目村に森嶽学校が創立発足した。現在の五城目小学校である。「森嶽」とは森山という意味である。翌年8年には、馬場目に薫陶学校、内川に湯ノ又学校が開校し、9年には、富津内に環山学校(下山内)、登美多学校(富田)、鶴湯学校(中津又)が開校、大川に大川学校が、馬川には高崎学校が開校した。この校印は、120年前の森嶽学校創立当時のもので、篆書体の中でも古形の印篆体の二字二行で彫ってある。当時は主席教員がおかれただけで、校長などのいわゆる管理職はおかれていないので、職印はなかったと思われる。小学区という学区制になっていて学区取締が学校の管理運営の責任者とされていた。

②五十目女学校校印 明治7年発足の森嶽学校は、それまでの寺小屋小池町松浦三郎兵衛、古川町泉谷力治と移り、10(1877)年紀久栄町(当時は古川町)に校舎を新築して移った。そして秋には隣接して別棟をつくり、廊下をむすんで、五十目女学校を開校している。このころ、文部省では小学校では初級の教育を行う学校であるとし、尋常小学校や女児小学などに分けている。森嶽学校は尋常小学であるが,女児には尋常小学の教科のほか手芸、裁縫を教える必要があり女児小学を設けたほうがよいと考えたのである。字体はのびやかな隷書体で、三字二行である。

③五十目小学校校印 教育令によって村名をつけた五十目小学校と改称したのは、明治15(1882)年4月のことである。この時点では、まだ小学区制はつづいていたから校名の上に「南秋田郡第三十六区」がついている。学区のナンバーがとれるのは、20年(1887)4月、五城目尋常小学校と改称し、4年の課程になったときである。字体は隷書体である。

④五十目小学校女子分校校印 森嶽小学校から五十目小学校と改称した明治15年、廊下でつながっていた五十目女学校は、女子分校ともなった。もちろん本校と同様、郡名、学区ナンバーがついている。字体は隷書体。

⑤ 五十目村尋常高等小学校校印 明治24(1891)年5月、高等小学校併置発足したので、校名は「秋田県南秋田郡五十目村尋常高等小学校」となった。県、郡名の次に五十目村とあるのは、学区が廃止され村が初等教育の責任を負うようになったからである。この年の12月、体操場のある新校舎が新畑町(字七倉)に完成、移転した。なお、高等小学校併置校は当時は湖東部でただ1校であった。字体は楷書体となって、やや面白味を欠く。

⑥学務委員事務取扱所印 学務委員は小学校区と当該小学校の取締(管理)のために、明治12(1879)年から18年までおかれた。この印はその事務所印である。明治23(1888)年小学令によって再び学務委員がおかれるが、前とは違い町村長の補助的なもので、ほとんど権限はなくなっているから、事務取扱も設けられていない。また、その時点で学区制も廃止されていた。字体は楷書体。

種別 有形文化財
部門 歴史資料
名称 五城目小学校印
所在地 羽黒前
指定年 平成4年3月26日
サイズ ①2.9×2.9cm
②2.9×2.9cm
③3.3×3.3cm
④3.2×3.2cm
⑤3.2×3.2cm
⑥2.7×2.7cm
所有者
管理責任者
五城目小学校