五城目町番楽競演会

五城目町番楽競演会は、 毎年 5月第三日曜日の前日 に開催。

昭和44年から続いております。

五城目町番楽競演会


日 時 5月第三日曜日の前日 午後7時~

会 場 五城目神明社 神楽殿


  • 番 楽 の 由 来 ◆


番楽は全国でもあまり例のない特殊な芸能で、菅江真澄「ひなの遊び」によると、秋田市周辺で“舞曲”(あそび)、岩手県、宮城県で“神楽”、青森県の下北地方では“能舞”と呼んだと伝えています。

この番楽のおこりは、修験という山伏集団の宗教的な舞踊、つまり神楽であったといわれ、山伏たちの遊芸として一般に普及するようになったのは中世から江戸初期にかけてであり、おそらく五城目の番楽もその頃この土地に定着したものと思われます。

番楽の舞いは、勇壮活発、しかも曲芸的な要素をもっており、きわめてエネルギッシュなもので、かなりの修練を要する踊りです。番楽が神楽という生いたちからして、悪霊などを追い払い、天下泰平、五穀豊穣を祈るという意味をもち、舞のしぐさの中で地上の三方、四方を踏みつけたり、刀をふりあげたりする場面はそれらを表現しているものです。

五城目町には、四つの番楽が伝承されていましたが、現在は山内番楽と民俗芸能保存会の二つの団体が活動を続けています。五城目に伝えられたそれぞれの番楽には、舞や拍子に多少の違いはあるものの、いずれも同じ系統のものといわれています。この地域の番楽がそれぞれに交流し合い、他地域の芸能の影響も受けながら、現在の形になってきたことは想像に難くないことです。

番楽は山伏神楽とよばれるように、その土地の神社や寺に奉仕し、修験によって演じられていましたが、やがて武士舞や女舞が加えられ、お盆の行事や地区の祭典などで演じられるようになりました。地域のレクリエーションの役割も担うようになると、地域の人々によって番楽連中が組織され、番楽宿や師匠が定められるようになりました。この番楽連中が現在も保存会として継承されています。

なお、山内番楽及び番楽面は町指定文化財に指定されています。

1 露 払 五城目町番楽教室 

   つゆはらい  

2 鞍 馬 山内番楽保存会・五城目町番楽教室

  くらま

3 熊谷敦盛 五城目町番楽教室

  くまがいあつもり  

 

6 山 の 神   山内番楽保存会

  やまのかみ

7 曽我兄弟 山内番楽保存会

  そがきょうだい