63.蕗葉透文湯呑・鉄釉湯呑

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作者の道遊は奥田永蔵といい、秋田焼の創始者、慶応から明治にかけての人である。秋田市米町の生まれで、20歳のころ秋田市寺内で自楽亭道入から陶方を学んだという。道遊は初め秋田市新大工町に窯を築き、明治26(1893)年「秋田焼」を称した。明治40(1907)年ころ、道遊は五城目町に居を移し、町の富豪柳原家の庇護のもとに昭辰町に窯を築いて楽焼を始めた。しばしば住居を変えているが、陶土は前平山の近くの瀬戸座から土を運んで製作していた。秋田焼は、フキの葉のすかし模様をするなど、細工を施した楽焼で、この技法は今日も受け継がれている。そうした技法の特徴がよく現れているのが、「蕗葉透文湯呑」である。また、「鉄釉湯呑」は釉が金茶色に散って奥深い味わいの肌になっている。

種別 有形文化財
部門 工芸品
名称 蕗葉透文湯呑・鉄釉湯呑
所在地 下タ町
指定年 昭和59年3月31日
サイズ 蕗:高さ6.5×径7.4cm
鉄:高さ6.0×径6.6cm
所有者
管理責任者
個人所有