矢田津世子没後80年事業 ふるさと作文コンクール 受賞作品一覧

概要

五城目町出身の女流作家である矢田津世子(明治40年~昭和19年)の没後80年を記念し、矢田文学の周知をはかるとともに、地域文学の向上と生涯学習の推進を目的として、町内小中学校の児童・生徒を対象に「ふるさと作文コンクール」が行われました。
厳正なる審査員による審査の結果、最優秀賞、優秀賞を受賞された作品が以下の通りとなります。

最優秀賞 小学生の部 【むずかしい番楽】

五城目小学校 三年 川村 らな

 三年生になって、わたしががんばっているのは番楽です。五百年近くうけつがれてきています。
 そう合てきな学習の時間に、山内番楽をやられている方から、刀やお面を見せてもらいました。ずっとむかしから、大切に使っているのが分かりました。刀を持っておどっているのを見たら、はくりょくがあっておどろきました。刀がぶつからないかハラハラしました。
 わたしたちは、「つゆはらい」というおどりを教わっています。一つ一つの動きがむずかしいです。ぼんぼりとせんすの動かし方は番楽の先生からくり返し教えてもらい、家でも練習しました。回る速さや、とぶタイミングがなかなか合わなくて苦戦したけれど、たいこのリズムに合わせたら、そろうようになりました。たいこの音とかけ声に集中していると、みんなの心が一つになったような気持ちになります。むかしの人たちも同じように感じていたのかなと思います。
 この先も、五城目町にうけつがれていけるように、しっかり練習して学習発表会でひろうしたいと思います。そして、春に行われる神明社での番楽を見てみたいです。

最優秀賞 中学生の部 【五城目の財産】

五城目第一中学校 三年 伊藤 葵

 私は五城目町内川地区に住んでいます。内川地区は、奈良時代から続く神明社や天然記念物の「かすみ桜」など自然が豊かな地域です。私はここ内川が大好きです。生まれてからずっと家族と共に過ごしています。
 しかし、その当たり前の日常が当たり前ではなくなった昨年七月。生まれて初めて体験した大雨、豪雨災害。氾濫する川を目の当たりにし、私は不安に押しつぶされそうになりました。「避難するぞ」という父親の言葉に従い、避難所へ向かいました。家族と共に生活していた我が家から出る心細さは、言葉には表せず、幼い時のように親から離れることができませんでした。
 避難所で私は母親と一緒に、避難してきた数十名の人たちと一夜を過ごしました。避難してきた人たちの中に、他の市町村の方がいました。「知らない土地だけど、地域の人がいてくれてとても心強いです」と言っていました。私は、はっとしました。ここに住んでいるだけの私でも、誰かの心の支えになっているのだと感じたのでした。
 この出来事から私は、日常は「地域住民でお互いを支え合っているからこそのもの」だと気付かされました。「心強い」と話してくれた方が感じた地域性は、一日二日でつくられるものではありません。この土地に長く住んでいる人たち同士の温かいコミュニケーションの力です。それならば私も支える側の人間になりたいと強く思いました。
 今年五月に、地域の避難所でもある中学校で町の防災訓練が行われました。私は初めて友達と参加しました。災害時において使用するパーテーションや災害用ベッドの組み立て、防災無線の使用方法など地域の方々と一緒に学びました。地域の方々と思いを共有し交流できたこと、顔見知りになれたことは、私にとって精神的に大きく成長するよい経験でした。
 この防災訓練の後日、地域の清掃活動に中学生全員で取り組みました。小さなゴミ一つからでも環境が汚染され、地域温暖化が加速していることを聞きました。また、地球温暖化が及ぼす影響として、世界中の気候変動や日本各地で大雨が多発していることを知りました。昨年七月におきた大雨災害を繰り返してはいけません。そのためにも、今、ここふるさと五城目で、自分たちができる五城目を守る取り組みをこつこつと積み重ねていきたいと思います。
 日々私は学校から帰ると、地域の人たちから「おかえり」と声をかけてもらっています。この田舎であるからこその温かさは、思いやりという名の財産です。昨年避難所でお会いした方にも、この温かさが伝わったのだと思います。ふるさと五城目町を私たちの世代がしっかりと守り、人の温かさや自然の豊かさを大切に受け継いでいきたいと思います。

優秀賞 小学校低学年の部 【おいしいお米ができたよ】

五城目小学校 二年 佐藤 莉緒

 わたしの家では、おじいさんとおばあさんが田んぼでお米を作っています。この前、わたしとお兄さんは、いねかりの手つだいをしました。広いところはおじいさんが、きかいでいねをかりましたが、のこったところを、かまでかりました。さいしょは手が切れそうで、こわいなと思いました。おじいさんが、「一ばん下ではなくて、下から五センチくらいのところをまっすく切るといいよ。」と教えてくれました。切ろうと思ったけど、かたかったので、おじいさんとお兄さんが手つだってくれました。いねをかるのは大へんだと思いましたが、いつも食べているお米はこうやって食べられるようになるんだと思いました。
 できたばかりの新米で、だまこを作りました。わたしも、ごはんを丸めるのを手つだいました。ごはんを丸めるとき、クチュクチュ音がしました。新米で作っただまこは、もちもちしていてとてもおいしかったです。やっぱりおじいさんが作るお米は、おいしいなと思いました。こんどは、田うえのときにも手つだいをしてみたいです。

優秀賞 小学校中学年の部 【自然豊かな五城目町を見付ける】

五城目小学校 四年 森国 茉央

 私が好きな五城目町は、四つあります。
 一つ目は、五城目町の人が優しくて元気なところです。町で会った人にあいさつをするとまたあいさつが明るくかえってくるからです。わたしも明るくあいさつしたいです。また、町の人たちはとても元気です。私たちの元気なあいさつで町の人たちは元気をもらいはげまされていると校長先生から聞きました。これからも元気に生活していきたいなと思います。
 二つ目は、自然です。まずはじめに思いうかぶのが馬場目川です。馬場目川は、五城目町で一番大きな川できれいな水が流れています。また、たくさんの虫がいます。虫はいろいろな季節を教えてくれます。季節を感じさせてくれる虫が好きです。また、たくさんの鳥も気持ちよく朝をむかえることができます。こんな自然豊かな五城目町は、すばらしいなと思います。
 三つ目は、森山です。森山は、五城目町に住む人のシンボルのような山です。三年生のときに森山に登ったら、お城がありました。また、よてもよい景色が見ることができるのがいいところです。
 四つ目は、五城目小学校の校歌です。校歌には、町のいいところがたくさん集められていて、五城目町のよさを知ることができます。そんな校歌をこれからも大切に歌っていきたいと思います。
 これからも五城目町のよさをたくさん見つけ、もっと五城目町を好きになっていきたいです。

優秀賞 小学校高学年の部 【ほこりある五城目町】

五城目小学校 五年 黒丸 瑠星

 ぼくが、五城目に住んで十一年たちました。そこで、ぼくは五城目町について考えました。
 まず五城目町の第一印象は、自然が豊かで、人々が温かいという事です。理由は、森山、すずめだて公園などがあり木がたくさんあって、緑が目立っています。他にも花だんがたくさんあり、いろんな地区できれいな花だんが見られます。もう一つは、五城目町の人は朝市などで買い物をするときに、お店の人とお客さんがたくさんお話をしていて、とても楽しそうでした。他にも、ぼくがあいさつをすると必ず返してくれて、「おかえり」などを言ってくださり、とても温かいなと思いました。
 そして朝市には、朝市プラスというイベントがあり、土曜日、日曜日に朝市の開さい日が重なったときに行われます。朝市プラスは、ふだんの朝市よりお店が多く、ずらりと並んでいます。そして町外からもお店を出すことができ、一年を通して、春は山菜祭り、秋はきのこ祭りなどの企画があり、楽しむことができます。ぼくも、朝市プラスにときどき行きますが、とてもにぎわっていてうれしい気持ちになります。
 しかし、去年とおととし二年連続で大雨で町の川がはんらんして、多くの地域が浸水などの大きな被害にあいました。ぼくの家は無事でしたが、町のほぼ全体が断水になり、真夏で暑いのに、水が使えなかったので、給水車に水をもらいに行ったり、近くの温泉に入りに行ったりしました。今年になっても家のかたづけが終わってない人もいるみたいで、かわいそうでした。今年も大雨被害がでないといいなと願っていました。幸い今年は大丈夫でしたが、これからもまた災害が起こったときに備えたいです。
 さて、今年のぼくは町の子ども議会に参加し、夏休み前から集まって人の話を聞いたり、勉強をしたりして、発表の準備を進めてきました。僕は伝とう工芸品のことをくわしく調べて質問することになりました。友達と二人で、読み合ったりして本番に向けて、備えました。本番になると少しきんちょうしました。議場に立って質問すると堂々と言えました。練習をして、はっきりしゃべることができてほっとしました。
 このように「、五城目町は水害もありましたが、魅力がたくさんあり、よい町です。人口がどんどん減っていますが、五城目町にたくさんの人が住んでくれるといいなと思っています。

優秀賞 中学校一年の部 【素敵な五城目町】

五城目第一中学校 一年 工藤 碧

 私の部屋の窓からは、森山と五城目城がとてもよく見えます。この景色は私にとっての「当たり前」でした。
 今年、私は町の交流会に参加して、初めて東京の千代田区にいくことになりました。交通機関がとても充実していて、人も多く、建物は高く、たくさんあってにぎわっており、外にいても音楽が聞こえてくるところがあるほどでした。また、学校もたくさんあって、楽しそうだなと思いました。
 しかし、交流会が終わり五城目町に帰ってくると、「五城目町ってこんなに素敵なところだっけ。」と驚きました。一番驚いたのは自然がすごいということです。川がきれいで透き通っていて、家から山や城も見え、外にいると鳥の鳴き声がする。東京では鳥の鳴き声には気づきませんでした。今まで当たり前と思っていたものが、私の中で「すごく特別なもの」に変わりました。確かに、東京での交流会も楽しかったです。ですが、わたしにとっては五城目町で開催された交流会のほうが特別な思い出です。東京の友達と五城目の友達と一緒に稲刈りをしてだまこ鍋を作り食べたこと、植樹体験をしたこと、どちらも自然に関わっていたなと思いました。五城目町の自然は、人と仲良しになるきっかけにもなるのだな、自然ってすごいなと感じました。
 ただし、東京を楽しそうな場所だと思った私にとっては、魅力が「自然」だけの五城目町では寂しいとも感じました。自分で車を運転して出かけることのできない私たち子どもにとっては、もっと遊ぶことのできる場所が増えたらいいのに、と思います。買い物ができたり遊園地のようなものはもちろん、五城目の素敵な自然を活かした施設もあったらいいなと思います。体を動かせるアスレチックのような施設が町にあれば、車を運転しなくても私たち子どもも、自分たちで遊びに行くことができます。様々なイベントを企画してたくさんの人に五城目町に来てもらうことも大切だと思いますが、そのイベントの時だけでなく、普段の五城目町の様子にも興味を持ってもらって、足を運んでもらえたらそれはとても良いことだし、私たちもすごくうれしいです。
 自然豊かで、人も優しく素敵な五城目町だからこそ、私たち子どもも住んでいてもっと楽しいと思える町になったらすごく嬉しいです。

優秀賞 中学校二年の部 【「故郷」の存在】

五城目第一中学校 二年 高橋 千遥

 年末年始やお盆休みになると、故郷に帰省する人を、ニュースでよく見るようになる。その人たちは、「楽しかった」「また行きたい」などと楽しそうに話している。このときは、「故郷」という存在がどんなものかよく分かっていなかった。
 私の「故郷」である五城目町には、よさがたくさんある。一つ目は、自然が豊かなことだ。五城目町には森山があり、馬場目川が流れている。私はこの景色を毎日のように見ているが、家族旅行で東京に行ったときには、普段見慣れていた景色は当たり前ではなかったと気付き、他の場所に行ったからこそ知ることができたと改めて感じた。二つ目は、人が温かいことだ。学校の登校中に「おはようございます」と言うと、必ず返ってくる。でも、小学校低学年の頃の私は、恥ずかしがり屋で自分から挨拶をすることはなかったから、「挨拶は自分も相手も気持ちが良くなる」と先生にたくさん言われていたけど、やろうとしなかった。何をきっかけに挨拶をするようになったのかは分からないけれど、今では自分から積極的に挨拶をするようになり、先生に言われ続けてきたことも分かるようになってきた。また、下校時に私が挨拶をすると、「おかえりなさい」と返ってくることが多く、まるで自分の親のような感覚になる。地域の人の温かい言葉にあまり感じることにない「故郷」という存在を感じることもある。三つ目は、長く続いているものがたくさんあることだ。例えば、朝市や番楽、伝統工芸品などがあり、小学校、中学校と、五城目町の文化や伝統をたくさん学んできた。小学生の頃には、授業として、朝市でさつまいもを売ったことがある。そこで、初めて商品を売るという体験をして楽しかったし、五城目町の伝統を受け継ぐということに繋がる活動をしたから、何故か不思議な気持ちになった。その時に、初めて「伝統」というものを知る機会になったと感じた。
 そして、私は子ども議会というものに参加した。子ども議会とは、子どもの意見にも耳を傾け、これからのまちづくりに生かしていく活動だ。私は、今の五城目町もいいと思うけれど、もっとこうなってほしいという願いと、もっと良くなっていくのではないかという期待を持って参加し、活動に臨んだ。色々な視点で見たことで、五城目町のことを改めてよく知ることができたし、これからのまちづくりに関わることができたから嬉しかった。
 「故郷」という存在を、今はまだよく分かっていないし、「故郷」を感じることはあまりないけれど、どこかで私を支えてくれている存在なのかなと思った。将来、色々なことで疲れていて休めなかったら、私の「故郷」である五城目町に帰ってこようと思った。そして、今もこれからも「故郷」を大切にしていきたいと思った。

優秀賞 中学校三年の部 【私が思う「ふるさと」】

五城目第一中学校 三年 黒田 珠花

 五城目町に生まれた作家、矢田津世子さんは、その著書にふるさと五城目を描いていたと聞きました。矢田さんが生活していた頃は、馬車が走っていたようで、作品の中には「近づく馬車を私は毎日のように胸をどきどきさせては迎える。馬車の中に何かいいことが入っていそうな、そのような子供らしい期待からであった。」とあります。作品全ては読んでいませんが、町の広報でこの一節を知りました。馬車の音は、矢田さんにとって「ふるさとの音」だったと思います。
 では、「私にとってのふるさと」とは何なのか。正直、これまでは考えたことがありませんでした。だから今回、この作文を書くに当たり、考えてみることにしました。
 「私のふるさと」という感覚は、案外普段の生活の中で起きている些細な出来事の積み重ねなのかもしれないと思えてきました。
 私は今年の五月、修学旅行で東京へ行きました。東京では、自分にとって初めての経験をたくさんしてきました。建物はとても大きく初めて見るその数に圧倒されました。食事もとても美味しくて、幸せな時間を過ごしました。しかし、そんな充実した修学旅行の中で、何か寂しさを感じた瞬間がありました。五城目町だからこそ味わえる澄んだ空気や季節を感じさせてくれる田んぼや森林の美しい景色、こういった「五城目町だからこそ」というものが、どんどん頭の中に溢れてきたのです。こんなとき、ふと「五城目町に帰りたい」と思えることが自分にとっての「ふるさと」を意味するものになると感じました。
 また、これは私だからここそ感じることができる「ふるさと」だと思いますが、修学旅行から帰ってひさしぶりに食べた我が家のご飯がいつも以上に美味しく、どこかほっとするような気持ちになりました。この時私は、「五城目町に帰ってきたんだ」と実感しました。私のふるさとは、五城目町であり、その中にある我が家なのです。まるごと私のふるさとです。
 三日間の旅で感じた私のふるさと。将来、ふるさとを離れて暮らすことになったとき、きっともっとたくさんの「ふるさと」を思うだろうと思いました。
 「自分にとってのふるさととは何か」と改めて聞かれたら、すぐには答えることができないと思います。でも。「ふるさと」とは、普段の生活の中で感じた五城目町への小さな思いがたくさん積み重なって、自分にとっての大きな意味をもつ「ふるさと」になるのかなと思いました。
 普段、何気なく思っていることや感じていることでも、いつか自分にとって大切な意味をもってくると思うので、これからの生活でも「自分のとってのふるさと五城目」を見つけていきたいし、「私だけのふるさと」を大事にしていきたいです。