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福田笑迎

福田笑迎

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歌舞伎の『め組のけんか』に登場する力士の四ツ車大八は江戸時代に実在した人物で五城目出身であったことはよく知られています。この四ツ車大八にスポットライトを当て、『評伝四ツ車大八』を書いたのが、同じ五城目出身で明治時代に新聞記者として活躍した福田笑迎でした。この本が笑迎の遺稿となり、死後に友人たちの手によって出版されました。

笑迎には優れた文才があり、特に人物評論に才能を発揮したと言われていますが、その著作や原稿は、今日ではほとんど残っていません。『評伝四ツ車大八』が、笑迎がどのような文章を書いていた人なのかを知る唯一の手がかりになっているようです。

笑迎(本名 禎輔)は、薬屋を営み、地主でもあった裕福な家柄に生まれました。生家が旧家であったため、文庫蔵には多数の書画があり、幼いころの笑迎はそれらを手本にして意欲的に独学の絵を描いていました。10代の頃には既に地元の人々の求めに応じて絵を描くことも多くなり、それらは今でも五城目の古い家に残っているものがあります。展覧会に出展するような画家ではなかったので広く世の中から評価される機会は少なかったものの、地元の旧家に残る笑迎の作品からは、文人画や狩野派、浮世絵などの作風が混じり合った独特の画風の笑迎の、画人としての飛び抜けた才能を見ることができます。

東京に出て慶応義塾の哲学科に学んだのち、1890年(明治23年)に22歳で郷里に戻ると、秋田魁新報社に入り、政治記者として活躍しました。その後、みずから新聞社を興したり再度東京に出て新聞社勤めをしたりしましたが、結核のために40歳の誕生日を間近にして亡くなりました。