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石井三友

石井三友

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郷土の歴史を振り返ってみるとき、信頼のおける資料や記録が残っていればそれが貴重な手がかりになります。

五城目には幕末から明治にかけて石井三友という著作家がいて、地域の郷土史や風俗、農業事情などについて膨大な著作にまとめました。それが現在では、幕末から明治初期のころの五城目の様子を振り返るのにきわめて貴重な資料になっています。

内川村黒土で代々村の肝煎を務めていた旧家に生まれた三友は、子供のころから向学心が旺盛で、村の寺子屋で学ぶだけでは飽き足らず、藩校である明徳館に通って師範に教えを請うこともありました。明徳館は武士の子弟のための藩校ですから、農民である三友は本来ならば門前払いになるところですが、三友の熱意の方が勝ったということでしょうか。

三友の代表作は、全20巻にもなる『秋田繁昌記』です。この本では、現代まで続く五城目の朝市の当時の様子が克明に描かれており、たいへん貴重な歴史資料になっています。

三友が20代から30代になるころの天保年間には、秋田も異常気象による「天保の大飢饉」に見舞われました。これも三友は『凶年考』としてまとめており、五城目のみならず全国的にも貴重な社会史、農業史の資料になっています。

文筆のみならず、俳句、彫刻、書、墨絵などにも才能を発揮し、晩年には俳句の指導者的立場にもなっていました。大石孫石衛門や渡辺彦太郎など同じ時代の地域の文人とも親交がありました。