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小野源蔵

小野源蔵

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秋田市の千秋公園のお堀のほとりに建つ国学館高校は、1907年(明治40年)に秋田女子技芸学校としての開校から数えて平成19年に創立100周年となった歴史のある学校です。

学校はしばしば校名を改称してきましたが、秋田女子実業高校と称していた昭和23年に校長として迎えられたのが、五城目の出身でそれまで東京で東京帝国大学附属図書館司書や日本赤十字社博物館学芸員を務めていた小野源蔵でした。源蔵の校長就任に合わせて同校は敬愛学園高校と改称しています。

現在の五城目町富津内に生まれた源蔵は、幼いころから向学心が旺盛で、1910年(明治43年)に秋田師範学校本科を卒業したのち、男鹿市や秋田市の小学校で教鞭をとっています。それから東京高等師範学校(現在の筑波大学)体操専修科に入り直し、一度、山形の学校に勤めた後、図書館司書や博物館学芸員の仕事をしていました。

現場に立つ教育者であると同時に、源蔵は新時代の教育のあり方を考察する教育評論家でもありました。その最大の功績は『新教育論』の著作です。その中で源蔵は、「子供がみずから学ぼうとする心を育み、一人ひとりの個性を伸ばしてやることが本来の教育の務めである」という、こんにちしばしば言われることを、そのころ既に主張しています。

全国規模で読書調査を行って、その結果を基に読書指導するという手法を考案したのも源蔵でした。

源蔵はその号から「花城(かじょう)先生」と呼ばれることもありました。長かった東京時代には秋田県出身者、特に県出身の教育関係者のまとめ役を買って出て世話も焼きました。

没後の昭和45年に開かれた「小野花城をしのぶ会」の記録では「教育の先覚者・在京県人の父」と表わして、多くの人に慕われた源蔵の人となりを称えています。