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泉谷力治

泉谷力治

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現在の五城目町立五城目小学校は、1874年(明治7年)にそれまで寺子屋であった建物を仮校舎にして「森嶽(しんがく)学校」の名で開校したのが起源になっています。森嶽というのは五城目町のシンボルになっている山「森山」のことです。

森嶽学校が始まるまでその寺子屋を開いて子供たちの教育に力を入れていたのが泉谷力治です。

力治は子供のころからたいへんに勉強熱心で、14歳のころには中国から伝来した学問である漢学を熱心に学びました。それだけでは飽き足らず江戸で学びたくなって、24歳のときに親しかった秋田藩の武士について江戸に上りました。

数年江戸に滞在して学問をきわめ、五城目に戻り寺子屋を開いて子弟の教育に打ち込みました。力治の生家は木材業を営む裕福な家柄でしたが、1872年(明治5年)に学制(日本で最初に学校制度を定めた教育法令)が公布された際の寺子屋増築で、泉谷家の財産はほとんど使い果たしてしまったと言われています。

寺子屋から小学校の時代に移っても、初代校長は力治がなるものと地元では当然のように思われていましたが、実際の校長は国から赴任することとなり、力治は嘱託教員という待遇になりました。自分なりの教育に対する考え方があった力治は、嘱託教員として森嶽学校で子供たちに教えながら、放課後には従来の寺子屋方式での授業を行うこともありました。

1886年(明治19年)に息子の順松が教師になると自分は引退し、小さな家を建てて、漢詩や俳句も教える漢学の塾を開きました。